寛政12年(1800年)旧暦閏4月19日、伊能忠敬が蝦夷地の測量に出発しました。
伊能忠敬は、日本最初の実測図「大日本沿海輿地全図」を完成させた測量家です。
彼は、千葉県佐原で酒造業を営んでいた伊能家の養子となり、49歳で隠居した後
に江戸に出て50歳で31歳の高橋至時に弟子入りし、天文学を学び始めました。
正確な暦(太陽や月の動きに正確に合わせた暦)をつくるためには、地球そのもの
の正確な大きさを知る必要があることから、幕府の許可が得やすい蝦夷地の測量を
始めたとのことです。
55歳で初めての測量のために蝦夷地に向かい、以降17年の間に日本全国の測量調査
を10回にもわたり実施し、その結果を基に正確な日本地図を作成しました。
残念ながら伊能忠敬は地図の作成途中の74歳(1818年)で亡くなり、弟子たちがそ
れを引き継ぎ完成(1821年)させました。
伊能忠敬の人生を考えますと、学問をするということはいつからでも、いつまでも
行うことができ、決して始めるのが遅すぎるということはないということに気づか
されます。
また、そのような生き方をしている限り、常に自分のゴールに向けてチャレンジし続け
ることができるのだと思います。
何かを学ぼう、修得しようという想いはそれを知りたい、理解したいという好奇心から
出てくる気持ちだと思います。また、何かを成し遂げたいという想いは、こうありたい、
こうなりたい、というあるべき姿、ありたい姿を想像することから生まれるものだと
思います。
会社の中で各部門が掲げている定量的、定性的組織目標もどんな会社になりたいか、どん
な会社にしたいのか、そこでどのように働いていたいのか、どのような状態にしたいのか
という想いやビジョンからブレークダウンされたものだと思います。
しかし、業績目標が一人歩きしてしまうことにより、社員にとっては無味乾燥な数値の羅列
となってしまうことがあります。
だからこそ、業績目標として掲げているものと会社の将来像を結び付け、一人ひとりの社員
にとって意味を持たせるような働きかけをおこなう場や仕組が重要となるのだと思います。
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