慶応4年7月17日(1868年9月3日)、明治天皇の詔勅により江戸が東京(とうけい)と
改称されました。
王政復古の大号令により天皇を中心とした政治体制とし、これまでとは全く違った世
の中にしていくことを庶民に知らしめる手段として、都を移すことが検討されました。
当初は、大阪(大坂)が新しい都の候補地として挙げられていました。海外との往来
が増えていくことを考えると、内陸にある京都よりも大阪湾に近い大阪が適している
と考えたようです。
大阪への遷都に対して、薩摩藩で蘭学教師をしていた前島密は江戸遷都論という建白書
を大久保利通に提出しました。前島密が言うには、すでに大阪は商業の都市として繁栄
しているが、今でこそ世界的にみても大都市となっている江戸は、帝都としての機能が
なくなれば人は離れていき、廃れてしまうだろうとのことでした。
また、東京は大阪に比べて土地も広く、各省庁を設置するにしても旧大名屋敷を活用
することができるため、無駄が生じないということも東京を推す理由になっていました。
大久保利通がこの前島密の意見を受け入れなければ、今頃は大阪が日本の首都となり、
東京は片田舎の街になっていたかもしれません。さらに、東京という名称もつけられる
ことはなかったでしょう。
事業の戦略を練る際に、押さえておく必要があるのがどの市場をターゲットにするかと
いうことです。ターゲットとする市場の成長性、市場規模が事業を推進していく上で十分
なものになると見込めているかどうかです。
幕末の江戸の人口は120万人といわれていました。これは世界の都市の中でもトップクラ
スの人口でした。(1800年時点のロンドンの人口:86万人、パリ:54万人)
大阪の人口は、33万人でした。
経済的な視点で見ますと、大阪に遷都することで世界トップクラスの規模の市場を解体して
しまうのは、大きなロスと言えます。
SWOT分析的に整理すると、東京の強みは、その市場規模、インフラの整備状態となります。
弱みは、江戸幕府崩壊による首都機能消滅時のダメージです。機会は、東京遷都による強み
の有効活用とそれによる効率的、スピーディな成長の可能性です。脅威は、戊辰戦争がまだ
終結していない中での治安の問題と言えるでしょう。
東京と大阪の強み・弱みを比較検討し、どの施策を選択することが最適かを考えた上で出た
結論が東京遷都でした。
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