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仕事術としての根回しシナリオの設計ステップ

慶長5年7月25日(1600年9月2日)、上杉討伐のために諸将を引き連れて会津に向かって

いた徳川家康が、石田三成が西で挙兵したことを知り、その対策の検討のために下野

小山で軍議を開きました。いわゆる小山評定です。

 


この小山評定ではいろいろなエピソードが伝えられていますが、最近の研究では、そ

れらのエピソードは創作されたものだといわれています。しかし、それらが本当にあ

った出来事ではなくとも、多かれ少なかれ同じような動き、やり取りがあり、それが

強調されたものが創作されたエピソードとして今に伝わっているのではないかとも推

測することもできます。火のないところに煙はは立たぬ、といわれるように。

 


豊臣方の武将である黒田長政が徳川家康の意向を汲んで豊臣恩顧の武将である福島正則

に根回しをし、小山評定の流れをつくる仕掛けをしたというのもその一つです。その仕

掛けとは、豊臣方武将の筆頭である福島正則が第一声にて「徳川家康殿に従い、石田三

成を成敗する」と軍議で宣言をすることで他の大名もそれに賛同する雰囲気をつくると

いうものでした。福島殿がそう言うのであれば、自分が徳川殿につくと言っても問題は

ない、と他の大名に思わせることが狙いです。

 


結果は、徳川家康の指揮下で上杉討伐に加わっていたほとんどの諸将がそのまま徳川家康

に従い、石田三成と戦うという意志表示を示し、打倒石田三成に向けて勢いがついたとい

うことになっています。

 


小山評定に召集された武将の多くは豊臣秀吉に恩がありました。豊臣秀吉に取り立てられ

たから大名となっていたのですから。豊臣政権の前奉行であり、その体制を守ろうとして

いる石田三成と戦うということは、豊臣秀吉の遺志に反することになるともいえます。そ

こをあえて、豊臣恩顧の武将たちが率先して戦うと宣言したことがこの軍議のポイントでし

た。これにより豊臣政権を守ろうとしていた石田三成を徳川家康が豊臣恩顧の武将たちを使

って潰すことができる体制を整えることができたということになります。

 


根回しというと裏工作をしているようでイメージは良くありません。しかし、ビジネスが

設定したゴールを達成させるために戦略を練り、それを実現させることを目的としている

のであれば、根回しもゴール達成確率を高めるための立派な手段だと思います。

 


根回しをする際は、

 

・何をゴールとしての根回しなのかを明確にする
・そのゴールを達成させるために整える条件は何かを設定する
・その条件を獲得するために、一番影響力のあるのは誰かというターゲットを明確にする
・そのターゲットに対して何をすること、何に合意することを了解してもらうかを設定する
・ターゲットにそれを了解してもらうためのシナリオ、応酬話法を準備する

※ターゲットに影響力を持つキーマンや影の反対者は誰かを確認し、ターゲットを含めて誰に優先的にアプローチしていく

 かというシナリオを設計する

 

ことを事前に設計して臨む必要があります。

 


根回しとは、元々植樹を移植する際におこなう準備作業のことを指していました。根本を掘り

起こし、伸びた根を切ったまますぐに植え替えると根が水や養分を吸収することができなくな

り枯れてしまいます。そこで、移植前に伸びた根を適切な長さで切り、移植前の土の中で放置

させることで新たな細い根をつけさせ、そこから水や養分を吸収出来るようにした上で移植す

るという準備が必要となります。これが根回しです。つまりは、移植というゴール達成のため

の準備作業ということです。

 


社内会議や客先でのプレゼン等に向けても、いかに関係者を巻き込んだ準備(根回し)ができる

かがその成果を左右することになります。