治承4年8月17日(1180年9月8日)、後白河法皇の皇子である以仁王の平家追討の令旨
を受けた源頼朝が挙兵し、その命令を受けた北条時政らが伊豆国目代、山木兼隆の屋
敷を襲い、討ち取りました。源平合戦の始まりです。
源平合戦と書きましたが、実際には、源氏と平氏がきれいに分かれて戦ったわけでは
ありません。平清盛をトップとする平家側にも源氏がいましたし、源頼朝をトップと
する源氏側には多数の平氏が御方となりました。その代表が後に鎌倉幕府の執権職を
務める北条氏です。
そのように見ていきますと、世の中でいわれている源平合戦というのは、平家対その他
の平家の戦いであり、平平合戦だともいえます。平清盛一族のみが栄華を極め、同じ平
氏である自分たちがそれにあやかれないのは不公平だ、いっそのこと源氏について平清
盛一族を倒してやる、という感じだったのだと思います。
源頼朝は源頼朝で、この源平合戦といわれる戦いの中で同じ源氏である源義仲を撃ち、
平家滅亡後には弟の源義経を殺させています。要するに、平清盛一族の専制体制に不満
を持った全国の武士がその打倒を目指し立ち上がり、それに代わりそれぞれが権力を手
に入れようとした戦いだったということです。
後世の人間から見れば、横暴な平氏の政治に不満を持った源氏が平氏を倒して鎌倉幕府を
開いた、となるのかもしれません。しかし、それは表面的な見方だといわざるを得ません。
平清盛がなぜ他の平氏からも不満を持たれたのか、源頼朝はなぜ北条氏の支援を得たのか、
源氏と平氏とはそもそも何なのか、武士とはどういう人たちでどのように生まれたのか、と
いったことを理解していないと本当の源平合戦の本質というものは見えてきません。
目の前の出来事、発生した問題を見たまま取り上げて、これが問題だ、これが問題の原因
だ、だからこうすれば良いのだ、とすぐに結論づける前に、目の前の出来事、問題を客観
的に捉えてみることも重要です。
そのようにものごとを自分の目線のみで捉えるのではなく、もっと上から俯瞰して眺めて
みる捉え方をメタ思考といいます。メタ(meta)とは英語で「高次な」、「上位の」という
意味です。自分の次元で捉えるのではなく、高い次元、別の次元からものごとを見る、俯瞰
して考えるというのがメタ思考です。
自分では論理的にものごとを捉え、対応していると思っていても、別の見方をすると見てい
る範囲が狭かったり、本当は別のやり方もあるのにそれに気づいていなかったり(あるいは、
そのやり方自体を知らなかったり)することがあります。より適切に問題をとらえ、対応して
いくためには、自分だけのロジックだけではなく、自分以外のものの見方、対処方法を取り入
れ、その中から最善の方法を選ぶことが重要となります。その第一歩が、「なぜ、そうなのか」、「なぜ、そう考えるのか」、「本当にそれで良いのか」、「本当は、どうなっているのか」と考えることから始まります。そして、自分だけでは思考が広がらない、掘り下げられないのであれば、他の人に手伝ってもらうことも必要となります。
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