1902年9月19日、俳人正岡子規が結核によりこの世を去りました。正岡子規は45種類の
雅号を用いていました。その一つに「獺祭書屋主人」という雅号があったため、正岡子
規の命日を獺祭忌とも言うそうです。
獺はカワウソのことです。カワウソは取った貝などを並べて食べる習性があります。その
様子から、先祖に食べ物をお供えして祭ることを獺祭と言います。
獺祭という日本酒にもそのような意味が含まれているのだと思います。また、そこから転じ
て、詩文などを作るにあたり多くの書物を調べるために、それらを一面に広げている様子も
指しているとのことです。唐の詩人、李商隠は自らを獺祭魚と号していました。正岡子規も
それを意識して「獺祭書屋主人」と号していたのでしょう。
仕事でも何かしら新しい発想やアイデアを求められることがあります。よくアイデアや発想
力はその人自身の資質によるものだと言われます。特別な人に備わっている能力なので、そ
れ以外の人は何をしてもできない、ということです。
しかし、それは違うと思います。新しい発想やアイデアは0(ゼロ)から生まれることはあり
ません。何もないところからは何も生まれません。ゼロ掛けるゼロはゼロにしかなりません。何
かしらのアイデアが出るということは、何かと何かを掛け合わせたからです。そして、その何か
と何かとは、既に世の中に存在しているもの、考え方になります。
したがって、発想力を発揮するためには、様々な情報をかき集めて、それらを順番に掛け合わせ
ながら、そこから想像できることを輩出していくという作業が不可欠となります。何も思いつか
ない、というのはその作業量が十分でないということです。掛け合わせるための情報を十分に収
集しきれていないということです。
商品開発や新規事業の探索は、まさに獺祭の状態からスタートすることになります。それが新しい
発想、アイデアにつながるかどうかは、それをやり切る必要性を当事者の面々がどれだけ認識して
いるかどうかに関わってきます。つまり、そのようなアイデアを創出することを諦めない気持ち
です。それがあれば何時間、何日、何年だってかけることができます。しかし、ビジネスの場合は、常に納期があります。時間を無制限に使えるわけではありません。その制約条件の中で諦めずに取り組むことができるかが重要だと思います。そこまでのプロセスも経ずに、アイデアが出ない、というのは途中でその取り組みを諦めて止めてしまったということです。
こう言ってしまうと単純なことなのですが、成果をあげるということは単純なことの繰り返しの結果によることが多いという気がします。
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