明治10年(1877年)2月15日、明治政府に不満を持つ鹿児島不平士族が西郷隆盛を担ぎ
あげ、進軍を開始しました。日本における最後であり、最大の内乱となる西南戦争の
はじまりです。
西南戦争勃発の原因としては、維新後間もない日本の舵取りに関する政府内での意見の
対立、これまでの特権を外された士族の不満や反乱を封じ込めようとする政府の対応、
そのような状況の中で問題が起きないように何とかしようとしていた西郷隆盛と大久保
利通、それを取り巻く政府高官との行き違い、意思疎通の不良といったことがあげられ
ます。
生まれたばかりの明治政府は共通のビジョンや目標もなく、それらを共有していくような
コミュニケーション体系や機能も整備されておらず、それを構築していくプロセスも見え
ていなかった状態だったのだと思います。
現代から当時の体制をながめてみると、日本のリーダーは大久保利通だったといえます。
片や、西郷隆盛も鹿児島を中心とした不平士族たちからすると自分たちの不平不満を理解
し、良い方向へ導いてくれる期待の持てるリーダーとなっていました。
二人のリーダーが目指す方向は、日本をより良い、豊かな国にするということでは一致し
ていたのだと思いますが、そこにたどり着くためのプロセスや具体的目標が違っていたと
いうことなのだと思います。
今でも鹿児島では西郷さんの人気は高く、大久保利通は不人気だそうです。もし、二人の
間にリーダーとフォロアーの関係が成立していたら日本という国の成り立ちも違ったもの
となっていたかもしれません。大久保利通がリーダーのときは、西郷さんがそのフォロワー
に徹して、西郷さんがリーダーのときは大久保利通がフォロワーに徹するというような関係
です。
リーダーシップはポジションや役割に関係なく誰でも発揮できるものだとドラッカーさん
は言っています。しかし、個々が自分の想い通りにのみ行動をしていたのでは、共通のビ
ジョン、目標、シナリオは持てません。健全なフォロワーが必要となります。
リーダーシップは互いに発揮し合い、その中から共通のものを設定し、状況に応じて各人
がリーダーとなったり、フォロワーになったりしながら取り組んでいくことができるのが
強いチーム、強い組織だと思います。
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