天正19年2月28日(1591年4月21日)、千利休が豊臣秀吉の逆鱗に触れ、切腹を命じら
れたことにより自刃しました。
なぜ秀吉の勘気をこうむったのかは諸説あるようです。小説や映画化も何回かされて
おり、それぞれで違った説を取り上げていますので、一人の人物を違った視点で見比
べて見るのも良いのではないかと思います。
当時の豊臣政権では、「公儀のことは秀長に、内々のことは利休に」と言われていた
とのことです。豊臣秀吉の弟の秀長と千利休は秀吉配下のツートップだったと言えま
す。また、組織の中の互いの役割を理解し合っていた関係だったようです。
しかし、秀長が病死するとそのバランスが崩れてしまいました。その結果が秀吉と利
休の関係を悪化させることになったのかもしれません。
その意味では、元々、秀吉と利休のものの価値観、目指したいものは違っていたのか
もしれません。そのギャップを緩衝材となって埋めていたのが秀長であり、その存在
がいなくなったために、今まで見えていなかった(気にしようとしてこなかった)ギ
ャップが気になるようになったのでしょう。
人の考え方、価値観は十人十色です。違って当たり前だと思います。しかし、何か重要
な点で一致するものがあれば、それを芯として一緒に行動することができるのだと思い
ます。
逆に、重要な部分で違いが感じられると他が一致していても行動を共にすることはでき
なくなります。
自分にとって重要な部分での違いを無視して、無理して一緒にいることは精神的にも良
くありません。その場合は、互いに違う道を選択すれば良いのだと思います。
組織において、それを確認し合うものが経営理念であり、ビジョンなのだと思います。
だからこそ、毎年策定する中期経営計画の検討においては、数値計画のみではなく、そ
の事業の原点となる経営理念、目指すべきビジョン(獲得したい様々な状態の画像)を
メンバーと共有するプロセスが大切なのだと思います。
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