天正10年6月27日(西暦1582年7月16日)、織田信長、信忠父子亡き後の織田家の家
督を誰にするかを決める会議が清洲城でおこなわれました。
映画やドラマでは、織田家筆頭家老の柴田勝家が推す信長の三男信孝に対して、秀吉
は嫡男信忠の遺児の三法師(三歳、後の織田秀信)を担ぎ出してきて対抗する場面が
描かれます。結果は三法師が織田家の家督を相続することになり、以降、織田家内で
の秀吉の権勢が強まっていきます。織田家重臣(柴田勝家、丹羽長秀、池田恒興)が集
まっているところに、秀吉が三法師を抱き上げながら登場し、皆が三法師に織田家当主
として平伏します。その光景が三法師を抱いている秀吉にあたかも平伏しているように
見せる場面は有名です。
しかし、実際はそのようなことはなく、三男信孝を推す柴田勝家と次男信雄を推す秀吉
の間を取り、孫の三法師に家督を相続させ、三男信孝がその後見役となることにすんなり
決まったようです。
いずれにしても、この清洲会議は、今後の織田家の家督を誰にするのか、を意思決定する
ための会議であったということです。
会議には大きく5つの目的がある、と以前、7月5日の小田原城開城の日の項で説明をしまし
た。
1つ目が、何らかの意思決定のための会議、2つ目が何らかの問題に対する対策検討のための
会議、3つ目が互いの情報共有のための会議、4つ目が会議参加者同士の知見を高めながらの
教育のための会議、5つ目がそれらの混合型です。
ひと昔前の日本企業では、会議がやたらと多く、それが仕事の生産性を低くしているといわれて
いましたが、現在は、会議のリストラが大分進み、出席しなければならない会議も少なくなって
いるようです。
PCネットワークの活用による情報共有の仕組みが構築しやすくなっているということも会議を減ら
すことに貢献していると思います。しかし、その反面、管理者が本来チェックすべき部下の動きや
今後の活動見通し等を押さえられていないケースが増えてきているように感じます。
毎日、毎週の日報メールで部下が何をしたのか、どんな結果になったのかは確認できますが、日報
メールの中身だけでは、なぜ、そうなったのか、それを踏まえてどうしようと思っているのか、何
か問題になりそうなことはないのか、といったことまでは把握することができません。もちろん、
そこまでの詳細な記載を求めれば良いのですが、なかなかそうはなりません。しかし、そこが把握
できなければ、部下からの結果報告をただひたすら受けるだけの管理者となってしまいます。
結果報告を受けることは重要ですが、組織目標達成のために、これからそれぞれのメンバーがどのよ
うに動こうとしているのか、その動き方で成果をあげることができるのか、難しいとしたら今のうち
にどのような手を打っておくべきか、指示しておくべきかを考え、指示を出すのが管理者の役割だと
思います。
ムダな会議は積極的になくしていけば良いと思いますが、それにより、管理者に十分な情報が上がっ
てこないのでは、別の意味で本末転倒となります。そのような状態とならないようにするためには、
管理者が積極的に下に降りていき、情報を集めるような動きをすることが重要となります。すなわち、
意味もなく全員を集めて会議をするのではなく、必要に応じて部下と個別に短いやり取りの時間を意
識的に取っていくような動き方、スケジュールの組み立て方がこれからの管理者には必要となってい
くのだと思います。
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