天文12年8月25日(1543年9月23日)、ポルトガル人を乗せた中国船が種子島に漂着しました。
彼らは武器として鉄砲を携帯していたため、その日が日本への鉄砲伝来の日となっています。
(※日本への鉄砲伝来については伝来の年、場所等について諸説あるようです。)
鉄砲に触れた日本人はすぐに自分たちでも鉄砲を作ろうと試み、翌年には国産性の鉄砲をつくり
出します。種子島から日本各地に鉄砲は広まっていきます。
しかし、多くの大名は鉄砲の珍しさに興味を持ちつつも戦の新兵器としての価値を見い出すこと
はありませんでした。当時の鉄砲は、一発発射すると次の弾を込める作業が必要となり、その作
業時間はおおよそ20秒から30秒かかっていました。二発目の弾込めをしている間に敵に攻められ
てしまうため、最初の一発目しか武器として使えなかったのです。また、火縄銃のため雨や湿気
が多い場合は、使い物になりませんでした。
しかし、織田信長は鉄砲のデメリットのみを見て戦には使えないと判断するのではなく、最大の
メリットである殺傷力と射程距離の長さをいかに活かすかという発想をしました。その最大の成果
例が武田勝頼との長篠の戦です。ご存知の鉄砲の三段戦法です。
新しい道具を採用するとそれを使うことによる効率性よりも使いにくさを理由に使うことをためら
う人がいます。なぜ使うことをためらうのかというと、結局はこれまで馴染んだやり方を捨てて、
別の新しいやり方を取り入れることが嫌だからということです。
コロナ禍によりリモートワークが推奨されていますが、ある程度感染状態が落ち着くとまた元の勤
務形態に戻ろうとします。セキュリティの問題、管理監督者のチェック機能の問題等、元の勤務形
態に戻す理由はありますが、リモートワークを取り入れることでこれまでとは違った働き方の可能
性も見えてきた部分もあると思います。
新しい取り組みを模索していくためには、デメリットをいかにカバーし、メリットをいかに活かす
かという発想が求められるのだと思います。
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