事業の成長曲線(ライフサイクル)に応じて社長のリーダーシップスタイルは変えていかなければならない。リーダーシップとは自分が掲げたビジョンをまわりに示し、そこに導いていく姿勢であり、行動を指します。まわりが自分が期待しているように動いてくれていないのであれば、それはリーダーシップを発揮しているということにはなりません。相手に行動してもらうためには、行動してもらうための働きかけ、投げかけを相手や状況に応じて変える必要があります。すなわち、リーダーシップスタイルは自分の意志でコントロールするものだということです。そして、自社が進むべき次のステージはどこで、そこではどのような社員、体制が必要となるのかということから逆算して、今、どのようなリーダーシップスタイルで臨むべきかを考え、コントロールすることが必要となります。そのようなことを検討するものが中期経営計画の策定となります。
自社の中期経営計画策定の場は次世代の幹部陣を養成する場でもあります。また、現業の今後の見通しと対策を検討すると同時にその周辺の新規事業のタネを探す場でもあります。
中期経営計画の作成は、単なる数値計画の作成、見通しを立てるためのものではなく、人材育成、新規事業探索を目的として捉えておくことも重要なことです。
組織において同じ方向に向かって行動していくためには、共通の理念やビジョンが持てているかどうかが重要となります。逆にそこが違ってしまうと、目先のゴールは一緒でも一体感を持って行動できなくなってしまいます。毎年作成する中期経営計画の検討においては、単なる数値計画だけではなく、何を目指すのか、なぜそれを目指すのかというビジョンを確認し合うことから始める必要があります。
戦略立案とは設定した目標を実現させるために、自社を取り巻く環境の現状と今後の変化を推測し、それに適した成功条件を獲得するために自社の強みを活かした方策を設定することです。こうしたい、こうなりたいという目標設定は重要ですが、それだけで突き進んでいっても成功の確率は高くありません。何をすることが適切なのかを考えるためには、どのような条件の中で活動しなければならないのかを押さえておく必要があります。それが自社とそれを取り巻く環境分析をすることになります。
事業の成長曲線では、事業は導入期、成長期、成熟期、衰退期と推移していくといわれています。どんな事業でも未来永劫安泰ということはありません。新たな競合や市場の変化により衰退期に入ります。現事業が衰退期に入り、どうにもならなくなってから次の事業を考えるのではなく、成熟期の段階で次の事業分野を育てていくように企業全体を運営していく必要があるということです。自社の各事業が成長曲線のどのステージにあるのか、その事業を取り巻く環境はどのように推移し、その変化に対して自社の強みをいかしてどう勝ち残っていくのかを検討し、具体的な施策を取捨選択していくのが戦略立案です。そしてそれが形となったものが中期経営計画となります。
慶応4年7月17日(1868年9月3日)、明治天皇の詔勅により江戸が東京(とうけい)と改称されました。
王政復古の大号令により天皇を中心とした政治体制とし、これまでとは全く違った世の中にしていくことを庶民に知らしめる手段として、都を移すことが検討されました。
当初は、大阪(大坂)が新しい都の候補地として挙げられていました。海外との往来
が増えていくことを考えると、内陸にある京都よりも大阪湾に近い大阪が適している
と考えたようです。
大阪への遷都に対して、薩摩藩で蘭学教師をしていた前島密は江戸遷都論という建白書を大久保利通に提出しました。前島密が言うには、すでに大阪は商業の都市として繁栄しているが、今でこそ世界的にみても大都市となっている江戸は、帝都としての機能がなくなれば人は離れていき、廃れてしまうだろうとのことでした。
また、東京は大阪に比べて土地も広く、各省庁を設置するにしても旧大名屋敷を活用することができるため、無駄が生じないということも東京を推す理由になっていました。
天保8年6月28日、浦賀沖に現れたアメリカ商船のモリソン号が幕府の異国船打払令により砲撃を受けて引き返すという事件が起きました。
その16年後にはペリー率いるいわゆる黒船が日本に開国を要求するために来航しました。
1800年代に入ってから諸外国が日本近海に出没するようになり、開国要求をしてきている中で江戸幕府は無視をし続けました。
自分たちを取り巻く環境が確実に変わりつつあることを見ないようにしてきたということです。
企業においては、環境変化に対していかに対応していくことができるかが重要となります。その指針を明示したものが中期経営計画となります。
環境変化を無視したままで自分の良いように事業計画を描くのでは、その意味はまったくなくなります。
慶長20年(1615年)5月7日、大阪夏の陣にて大阪城が落城しました。関ケ原の戦い で家康が率いる東軍が勝ったのが慶長5年(1600年)、家康が征夷大将軍に任命され たのが慶長8年(1603年)、徳川秀忠に将軍職を譲り、今後は徳川家が征夷大将軍と して天下の政を継承しておこなっていくと世に知らしめたのが慶長10年(1605年)で す。...
1520年の今日はポルトガルの航海者マゼランがマゼラン海峡を抜けて太平洋に到達した日だそうです。
太平洋という名は英語では Pacific Ocean となり「穏やかな海」という意味があります。太平洋は「太」、大西洋は「大」という字を使っているのは、太平洋は平和を意味する太平から、大西洋はヨーロッパ大陸の西にある大きな海ということから大きな西の海を意味する名前をつけたとのこと。
10数年前にブルーオーシャンと言う言葉がはやりました。ブルーオーションは競争相手が少なく、自社が優位に活躍できるような市場ということです。逆にレッドオーシャンとは、競争相手が無数にいて、互いに価格競争をしながら疲弊をしていく市場を意味していました。
バブル崩壊後、日本はデフレに悩まされています。レッドオーシャンの中で互いに安売り競争に明け暮れた結果だといえるかもしれません。日本の生産性は低いと言われています。